理事長ご挨拶
昭和30年、先代・上林弘之が中島郡奥町(現・一宮市奥町)に上林医院を開設したことが当法人の始まりです。昭和40年に奥町病院として精神科医療にも取り組み始め、平成3年に法人化、上林記念病院と病院名を変更し、平成9年には老人保健施設やすらぎを開設。精神科医療、一般医療、介護福祉の分野に取り組んでまいりました。
我々の礎である上林記念病院は、精神科医療におけるさまざまな取り組みを通じ“こころとからだ”の両面から地域医療を担っていくことを目指して走り続けてまいりました。精神科・心療内科・内科・リハビリテーション科の4診療科に加え、児童発達こども発達センター、社会復帰センター、復帰支援のための自立支援センター、子どもの発達を促す児童思春期デイケアなど多数部門を揃え、地域のさまざまなニーズに応えてきました。コロナ禍の渦中の令和3年にはアルコール健康障害における依存症専門医療機関として県から選定され、令和5年には認知症疾患医療センターとして指定を受けました。
平成13年12月、一般病院・一宮西病院を開設したことは私どもにとって大きな転機となりました。開設後すぐに手狭となり地域のニーズに応えるためには更なる診療科の充実、病床の拡大が求められ、平成21年11月に現在の一宮市“開明”の地へ新築移転する運びとなりました。移転後は“脳疾患”、“心臓疾患”、“断らない救急”の3本柱を軸に、地域に求められる医療サービスの提供へと走り始めました。
公的医療機関の民間移譲問題や、重症心身障がい児者の受入れ施設問題についても、当法人は向き合ってまいりました。公募により公立の2病院を移譲いただく運びとなり、一宮市立一宮市民病院 今伊勢分院をいまいせ心療センター、一宮市立尾西市民病院を尾西記念病院と改名し、地域住民の皆さまの支えとなるよう努めました。また、平成28年1月には尾張西部医療圏初となる一宮医療療育センターを開設し、重症心身障がい児者の受け入れをおこなっております。
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいはじめた令和2年、地域の医療崩壊を防ぐべく“感染症独立病棟”を12月に開設し、コロナウイルス感染患者さまを受け入れました。通常診療の患者さまやスタッフを守るべくマスクや感染防御策を講じ、療養環境も区分けしましたが長く厳しい戦いを強いられたと感じております。
新型コロナウイルス感染症が5類に転じた令和5年の7月、“がん診療”、“在宅医療”の強化という積年の夢の実現に向けて新館B棟を開設し、一宮西病院は801床37診療科の総合病院として生まれ変わりました。一宮西病院が救急から急性期、慢性期、在宅医療までワンストップで医療サービスを提供できるようになったことは第二の大きな転機となったと思います。
“地域にない医療”を杏嶺会が実行する。何としてでも地域医療を守る。
“すべては患者さま、利用者さま及び家族のために”
私どもはこれからも地域・時代のニーズに合わせて姿を変え続け、“断らない医療”の実現を目指し、求められる医療サービスを提供し続け、日々邁進してまいります。
我々の礎である上林記念病院は、精神科医療におけるさまざまな取り組みを通じ“こころとからだ”の両面から地域医療を担っていくことを目指して走り続けてまいりました。精神科・心療内科・内科・リハビリテーション科の4診療科に加え、児童発達こども発達センター、社会復帰センター、復帰支援のための自立支援センター、子どもの発達を促す児童思春期デイケアなど多数部門を揃え、地域のさまざまなニーズに応えてきました。コロナ禍の渦中の令和3年にはアルコール健康障害における依存症専門医療機関として県から選定され、令和5年には認知症疾患医療センターとして指定を受けました。
平成13年12月、一般病院・一宮西病院を開設したことは私どもにとって大きな転機となりました。開設後すぐに手狭となり地域のニーズに応えるためには更なる診療科の充実、病床の拡大が求められ、平成21年11月に現在の一宮市“開明”の地へ新築移転する運びとなりました。移転後は“脳疾患”、“心臓疾患”、“断らない救急”の3本柱を軸に、地域に求められる医療サービスの提供へと走り始めました。
公的医療機関の民間移譲問題や、重症心身障がい児者の受入れ施設問題についても、当法人は向き合ってまいりました。公募により公立の2病院を移譲いただく運びとなり、一宮市立一宮市民病院 今伊勢分院をいまいせ心療センター、一宮市立尾西市民病院を尾西記念病院と改名し、地域住民の皆さまの支えとなるよう努めました。また、平成28年1月には尾張西部医療圏初となる一宮医療療育センターを開設し、重症心身障がい児者の受け入れをおこなっております。
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいはじめた令和2年、地域の医療崩壊を防ぐべく“感染症独立病棟”を12月に開設し、コロナウイルス感染患者さまを受け入れました。通常診療の患者さまやスタッフを守るべくマスクや感染防御策を講じ、療養環境も区分けしましたが長く厳しい戦いを強いられたと感じております。
新型コロナウイルス感染症が5類に転じた令和5年の7月、“がん診療”、“在宅医療”の強化という積年の夢の実現に向けて新館B棟を開設し、一宮西病院は801床37診療科の総合病院として生まれ変わりました。一宮西病院が救急から急性期、慢性期、在宅医療までワンストップで医療サービスを提供できるようになったことは第二の大きな転機となったと思います。
“地域にない医療”を杏嶺会が実行する。何としてでも地域医療を守る。
“すべては患者さま、利用者さま及び家族のために”
私どもはこれからも地域・時代のニーズに合わせて姿を変え続け、“断らない医療”の実現を目指し、求められる医療サービスを提供し続け、日々邁進してまいります。